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任天堂版「PlayStation」が海外で発見される!


衝撃のニュースが・・・!なんと、PlayStationの任天堂版が存在していたとのこと。
記事には「ベテランゲーマーであれば一度は耳にしたことがあるかも知れない」と更な衝撃の一言が・・・そうか、僕はベテランゲーマーじゃないんだ・・・。





Wikipediaにも記載されていた



1989年10月から共同開発が始まり、翌1990年1月には大賀典雄(ソニー)と山内溥(任天堂)の間で両社の締結を確認する合意文書が作られた。
開発コードネームは「プレイステーション」[8][9]。
ソニーはスーパーファミコンとCD-ROMの一体型マシンを発売することになり、CD-ROMアダプタは玩具流通で任天堂ブランドで発売し、プレイステーションは家電流通によりソニーブランドで発売する計画で、プレイステーションの価格は49800円を予定していた[10]。
ソニーはスーパーファミコンの開発機器「NEWS」を製作するなど任天堂と交流を深めていった。
しかし、1991年6月のシカゴでのコンシュマー・エレクトロニクス・ショーにおいて、ソニーがプレイステーションの試作機を発表するものの、任天堂はソニーとの共同開発計画ではなく、フィリップスとの提携と、CD-iでのゲーム開発を発表。
交渉の中心となったのは任天堂米国法人であった。
フィリップスによるスーパーファミコンCD-ROMは任天堂がライセンスを持ち、同社のソフト管理システムを維持する契約内容であった[11]。 スーパーファミコンCD-ROMソフトはスーパーディスクと名付けられ、任天堂ではなくソニーがライセンスを有することになっていた。当時のコンシューマー機のソフトはROMカセットが主流であり、CD-ROMは付属的な立場のメディアとして認識されていたため、任天堂はCD-ROMの権利を重視していなかった。
しかし、任天堂米国法人社長だった荒川實がアメリカのコンピューター業界でのCD-ROMの躍進ぶりを目の当たりにしており、この契約のままだと任天堂がソニーの従属的立場になると危機感を抱き、山内溥にソニーとの提携を止めるように口説いたとされている[12]。
この裏切りは数日前に任天堂からソニーに伝えられたが久夛良木までは伝わらず、新聞報道で初めて知ったという。
ソニーは抗議したものの、任天堂の言い分は「契約は生きており、ソニーが「スーパーファミコン CD-ROMアダプタ」を発売するのは構わないが、任天堂は別の規格を採用する」というものであり[13]、その後も粘り強く交渉が続けられたものの任天堂の決定は覆らなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/PlayStation_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E6%A9%9F)#.E9.96.8B.E7.99.BA.E3.81.AE.E7.B5.8C.E7.B7.AF
重要っぽいところを抜粋しましたが、意味不明な感じになったのでリンク先のwikipediaにてご確認ください。

時代を感じる風貌



何となく、見た目はスーパーファミコンに見えますね・・・というかコントローラーはもう完全にそれでしょう。
任天堂と言えばスクウェアとの対立などが有名ですが、ゲーム産業に本格的に参入する前のSONYとはこういうことがあったんだなぁと、しみじみしてます。
開発時期は、PCエンジンやメガドライブ、スーパーファミコン発売と重なるところですか。
その後の経緯を見る限りSONYのPlayStationの元祖というか原案というか・・・。
ここから始まったと言っても過言ではないわけですね。

何か、知らなかった歴史を知ったことで大人の複雑な事情も同時に知ってしまった感が否めない。
それでもこういうニュースにより脚光を浴びるというか、世に知られることになるのは面白い。
まだ見ぬゲーム機を知る機会は今後も増えそうですね!

参考元記事
幻の任天堂版「PlayStation」が海外で発見!CD-ROMを搭載したスーパーファミコン
http://www.gamespark.jp/article/2015/07/04/58288.html

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